アオタケから受け取った襷を、あなたへ

風が強く吹いている アニメ
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毎年1月2、3日に開催され、多くのドラマを生み出している「箱根駅伝」。感動がある反面、どの区間も約20kmあるそのレースは過酷を極める。

もしもこの大会に出場資格10人ギリギリ、しかもそのメンバーのほとんどが陸上長距離未経験者で出場するチームがいたとしたら……。こんな無謀な挑戦を描いたアニメがある。『風が強く吹いている』だ

箱根駅伝を目指す物語。ただし、無謀

「なあ!走るの好きか!?」

全力で夜の住宅街を駆け抜ける主人公 蔵原走(カケル)にこう語りかけたのは、どてらを羽織りママチャリで並走してくる謎の男 清瀬灰二(ハイジ)だ。

とある事情によりお金と住む場所に困っていたカケルは、「金は払える時でいい」というハイジの言葉に導かれるまま学生寮「竹青荘」、通称アオタケに連れていかれる。

そこにはハイジと同じ寛政大学に通う、平田彰宏(ニコチャン)、岩倉雪彦(ユキ)、坂口洋平(キング)、杉山高志(神童)、ムサ・カマラ(ムサ)、柏崎茜(王子)、城太郎(ジョータ)、城次郎(ジョージ)の9人の学生が住んでいた。カケルは、アオタケ10人目の入居者として歓迎される。

「この10人で、頂点を目指そう。」
「出よう、みんなで。箱根駅伝に。」

そこでハイジが口にしたこの言葉から、アオタケの「頂点」を目指す物語が始まる。

現実離れした野望に引く

今回私は、TVアニメ『風が強く吹いている』の魅力を届けたい一心で、この記事を書いている。しかし実は最初、この作品が苦手だった。なぜなら、あまりにも強引なハイジを理解できなかったからだ。

実は寛政大学陸上部部員寮だった竹青荘。もちろんそんな事実を知らないハイジ以外の住人たちは、ハイジの「入居届が入部届だからみんな陸上部ね」という言い分を受け入れられない。住宅街で驚異の走りを見せたがためにスカウトを受けてしまった新人住人カケルですらも、「箱根なんて、絶対無理だ」と語気を強めるほどの強引さだった。

しかしハイジには、そんな住人たちの声が届いていないようだった。彼は、アオタケの住人達を熱心かつ半強制的に口説き落と(脅)していく。しかもハイジは箱根に集中するためにと、朝のジョギングに加え「午後の本練習」と「バイト禁止令」を告げる。「箱根駅伝」という無謀な道に巻き込み、挙句の果てに人の時間までをも奪ったのだ。

就活セミナーを理由に本練習への参加を拒否したキングへハイジが言い放った「それはズラせないのか」というセリフに私は、人の人生を何だと思っているんだ、と嫌悪感すら抱いた。

ではなぜ、そんな嫌悪感すら覚えていた作品に、こんなにものめりこんだのか——。それはこの作品が、「自分の速度」と「相手の速度」を信じることで強くなる物語だったからだ。

互いを速度を信じ、強くなる

私は、アオタケの「不揃いな感じ」がとても好きだ。

育ってきた環境や好きなことがバラバラな彼らは、互いのことを認識してはいても、深く干渉せず自分の生活を妨げるときのみ文句を言うくらいの距離感、関係性だった。そんな“たまたまひとつ屋根の下で暮らしていただけ”の大学生同士がいきなり、「箱根駅伝を目指す!」と言われ団結することは難しいだろう。

この彼らの「あくまで他人」から始まる物語には、リアルが宿っていると感じた。

彼らの不揃いな部分は、距離感や関係性だけではない。練習への向き合い方やランナーとしての成長のスピードも、バラバラだった。ただ彼らは、それを無理やり揃えようとはしない。箱根駅伝を目指すとは思えないタイムしか出せていない人がいても、箱根駅伝なんて夢物語だと思っている人がいても、「この人たちが仲間かどうかは分からない」と言う人がいても、その考えや姿勢を咎める人はアオタケにはいないのだ。

その根底にあるのは、「俺は俺だ」「あいつはあいつだ」という価値観。そしてそれは、相手への無関心ではなく「相手を信じる気持ち」からくるもののように感じられた。

またアオタケのメンバーは、一人ひとりが導きあう存在でもあった。

ハイジは「頂点を目指す」と言って、アオタケのメンバーたちを箱根駅伝という夢に巻き込んでいる。しかしそんな彼もまた、「走ること」や「頂点」の意味を模索する一人だったのだ。

もしハイジがこれらの意味を知っていたら、アオタケは箱根駅伝に出場すらできていなかったと、私は思っている。みんなで「走ること」と「頂点」の意味を追い求めたからこそ、アオタケは互いが互いを導く存在になりえたのだろう。

「走ること」も「箱根駅伝を意識すること」も「仲間になること」も、最初は何もかもがバラバラだった、アオタケの面々。しかし互いが互いの速度を信じることで、彼らの異なる速度は少しずつ、でも確実に揃っていき、「強さ」にも磨きがかかっていった。

「俺は、できる」が「あいつは、できる」になり、「みんなで、できる」へと広がっていく。『風が強く吹いている』で描かれた「みんなで強くなる過程」には、現実的だからこその美しさがある。

アオタケ「走る」を通して見えた、作り手の愛

それぞれの速度を信じみんなで強くなったアオタケは、迎えた箱根駅伝本番で、模索してきた「走ること」や「頂点」の意味にたどりつく。そんなメンバーたちがたどりついた「それぞれの答え」は、作画でも細かく描き分けられていたように感じた。

最後まで走ることが嫌いだった王子の走るシーンでは、少し下がった目線に広がる道路が長めのカットで描かれている。箱根駅伝予選会出場資格である公認記録の壁に苦しみながらも、一歩一歩確実に進んできた王子らしい強さが、淡々とした描写の中でより一層映えていた。

まわりの風景から浮くぬるっとした作画と目元のアップが印象的だったのは、5区に最悪のコンディションで臨んだ神童のシーン。違和感のある作画の中で、うつろながらもまっすぐ前を見る神童の目にだけは、熱が宿っている。「待っているみんなに襷を繋ぐ」という彼の想いがひしひしと伝わってくるようだった。

このようにアオタケのメンバーが走る描写は、一人ひとり異なる。その繊細な描き分けからは、作り手の皆さんのキャラクター一人ひとりの成長を心から祈り、喜ぶ愛する気持ちまでもが感じ取れた。

アオタケの完走を見届けた、今

最終話が近くになるにつれ私の中では、アオタケの完走を見届けたい気持ちとずっと彼らの走りを見ていたい気持ちが交錯していた。

そして迎えた最終話。「責任を持って締める」と言ったハイジが走る10区、そしてアオタケのゴールを見届けた私は、覚悟していたほどのさみしさを感じなかった。ハイジがゴールテープを切った瞬間、彼の肩にかかる襷が、ともに走ったアオタケメンバーはもちろん、彼らの挑戦を支えた商店街や後援会、彼らの走りを見ていた人、そして視聴者へと継承されたと感じたからだ。

この“終わりでなく始まりを感じさせるラスト”には、大きな希望があったように思う。

アオタケがたどりついた「頂点」を見届けた、今。王子、ムサ、ジョータ、ジョージ、神童、ユキ、ニコチャン先輩、キング、カケル、ハイジが繋いできた襷を、私も受け取った。

私は彼らから受け取ったこの襷を、『風が強く吹いている』をまだ知らない誰かに繋げられたらいいな、と思う。

 

■『風が強く吹いている』アニメ公式サイト
https://kazetsuyo-anime.com/

■配信サイト

hulu
https://www.hulu.jp/kazetsuyo

U-NEXT
https://video.unext.jp/title/SID0037478

dアニメストア
https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/ci_pc?workId=22415

■原作小説とストーリーの組み立てを比較するのもおすすめ

(C)三浦しをん・新潮社/寛政大学陸上競技部後援会

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