「多様性」「個性」という言葉が、なんだかおもちゃのように扱われている気がしてならない。
第100代総理大臣に任命された自民党岸田文雄総裁は、所見発表演説会で「個性と多様性を尊重する社会を目指す」と宣言した。しかし同性婚に対して「認めるまでに至っていない」と述べている。なんという矛盾だろうか。
同性婚に限らず、ありとあらゆる考え方に対して反対の意見があるのは当然だ。しかし自分の価値観とは異なるものに触れた時に、自身のものさしで目の前の人やモノをはかるのは、単なる傲慢だと思う。
多様性は異なる価値観があるという事実を通して、自身の考えと改めて向き合いどう生きるか思考し続けていくこと。つまり他人に向けたものではなく、自分に向けた言葉だと思うのだ。
こう考えた時にアニメ『亜人(デミ)ちゃんは語りたい』を思い出した。
社会的マイノリティを「当たり前に隣にいる存在」として描く
『亜人ちゃんは語りたい』は、バンパイアやデュラハン、雪女、サキュバスといった神話やおとぎ話のモチーフ「亜人(デミ)」と人間の共生社会を描いた作品だ。かつては迫害の対象だった亜人だが、この世界ではあらゆる特性に応じた「社会保障」が整備されていたり、若者の間では教科書じみた堅苦しい呼称ではなく「デミ」と呼ばれるようになっていたりと、「生きづらさ」を解消するための動きが社会の当たり前になっている。
作中でマジョリティとして描かれるのが、主人公の高橋鉄男だ。県立柴崎高校に勤める生物教師で、デリケートだからと許可は下りなかったものの卒論のテーマにしようとしたくらい、亜人への興味が高い。しかしその関心の高さとは裏腹に、「これまで亜人にお目にかかったことはない」と語っていた。そんな彼の前に、新入生と新任の同僚として4人の亜人が一度にあらわれる。これまで叶わなかった亜人との接点が急に生まれたことに彼は、衝撃を受けていた。
しかし彼は、これまで生きてきたなかで亜人と出会っていると思うのだ。
以前「LGBTは周りにいないから理解しようがない」という区議会議員の発言が問題視された。こんな言葉が地方自治、政治を担う立場にある人間から出てくる以上、当事者は公言しようと思わないだろう。間違いなく存在しているのに、目を向けようともしてくれないのだから。私も含めてだがマジョリティの人の頭の中からは、「マイノリティの人たちが自分たちに合わせて生きている」という前提が抜けていることもままあると思う。
亜人に興味があると言いつつお目にかかったことはないと語っていた高橋もまた、研究するにはデリケートという理由に甘んじ、「理解しようとしない自分」を無意識のうちに棚に上げていたのではないだろうか。
だからこそ高橋の「亜人に興味本位で近づく行為」は、亜人を研究対象としてしか捉えていないようで、あまり褒められたものではないように見えた。しかし彼の亜人への純粋な興味関心は、デミちゃんたちが「理解されづらい」「誤解を受けやすい」と感じているありのままの悩みや特性を引き出すきっかけとなる。
なによりその相談を通して彼自身が、目の前の亜人の生徒や教師とともに社会を生きるために自分には何ができるのかを真剣に考え始め、まだまだ社会で取り組むべきこともたくさんあるのだと気づいていくのだ。
亜人は普通の人とほとんど変わらないって言ってたけど、それはつまり、違うところはあるってことでしょ? そこを見ないで同じ人間だって、それこそ差別なんじゃないかなって
※第11話 「亜人ちゃんは支えたい」より引用
高橋のこの行動は、人間の生徒たちをも巻き込んでいく。彼らは亜人の同級生たちがなぜ高橋にしか自身の悩みや特性について相談しないのかを考え、「自分たちのことを知ろうともしていない人」には語りたいと思わないのは当然ではないかという結論を出した。そしてまずは本人からきちんと聞いて知るという行動に移したのだ。
高橋や人間の生徒たちと亜人(デミ)ちゃんたちが「自身のこと」を当たり前に語り合う姿を通して私は、「まずは興味を持ち動く」ことが「見えていなかったことを自覚する」「話してもらう」第一歩なのだと考えなおした。
亜人(デミ)ちゃんが教えてくれる「興味を持つ」という勇気の大切さ
とはいえ他人に「興味を持つ」というのは、コミュニケーションにおいてとても慎重になる部分だと思う。人には触れてほしくないことが1つや2つ、いや数えきれないくらいたくさんあるだろう。自分にもそういう節があるからこそ、他人のパーソナリティについて知ることが失礼に当たると考えてしまうのだ。
ただそれを知ることもなく、「ああいう特性の人はこうだから」という属性でのレッテル貼りがなされることで、個人が苦しめられていることもままある。だからこそまずは「知りたい」を原動力に、行動に移すことが大事ではないだろうか。
実際に高橋は、亜人たちに「そんなことも聞くのか」と思ってしまうくらいのことを、わりとズケズケと聞いている。例えばバンパイアの小鳥遊ひかりには、人の血を吸いたいと思うのかと尋ねていた。そんなバンパイアへの世間のイメージを押し付けるかのような質問に対して、当事者であるひかりは「吸いたい」とあっけらかんと返答している。
このやりとりを見て「あなたを知りたい」という気持ちを伝えるには、まっすぐに質問をぶつけることが大切なのだと気づかされた。もちろんその「知りたい」が、人によっては失礼に当たることもあるだろう。その場合は失礼なことをしたと真摯に詫びればいい。
またこのような経験は、自分の中にはなかった「知られたくない」を知れたという、新たな価値観の蓄積にもなると思う。高橋の「知りたい」からくるデミちゃんたちとの交流は、興味を持つという勇気の大切さを教えてくれた。
多様性に目が向いている今だからこそ「亜人(デミ)ちゃんを観返したい」
多様性を大切にしていこうという社会の動きは、素晴らしい。ただし「多様性」はあまりにも広義にとらえられる、案外取り扱いが難しい言葉ではないだろうか。「すべての人が生きやすい社会に」といった捉え方でこの言葉を使うにしても、どのようにすればその目指す社会が実現できるのかを言葉にし行動に移さなければ、単なるキレイごと、キャッチコピー止まりになってしまうだろう。特大ブーメランが自分に突き刺さる。
「多様性」という言葉が日常にあふれるようになった今。その言葉をキャッチコピーとして消費するだけにしないためにも、『亜人(デミ)ちゃんは語りたい』を観返したい。「自分」について語り合う亜人(デミ)ちゃんたちの姿は、多様性という言葉の意味をあらためて見つめ直し、自分なりにできることに向けて動く勇気を与えてくれる。
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■アニメ公式ホームページ
https://demichan.com/
■原作『亜人ちゃんは語りたい』ヤングマガジン公式サイト
https://magazine.yanmaga.jp/c/demichanhakataritai/
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©ペトス・講談社/「亜人ちゃんは語りたい」製作委員会
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