『25時、赤坂で』が熱狂を巻き起こしている理由――キャラクターの伸びしろが読者の期待感を高める

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発売前予約の段階で重版が、さらに発売日2日後には3刷が決定するほどの人気ぶりを見せていたBL漫画があった。芸能界を舞台に、ふたりの役者の間で静かに燃え上がる恋愛を描いた、『25時、赤坂で』(著・夏野寛子/祥伝社)の最新刊3巻だ。

シリーズ作品であることを鑑みても、本作を取り巻く熱狂には目を見張るものがある。『25時、赤坂で』は、なぜこんなにもBLファンに支持されているのだろうか。

王道ストーリーの先にある、期待の余白

物語は、同性愛を題材にした「昼のゆめ」というゴールデンタイムのドラマの顔合わせから始まる。このドラマでメインキャストの恋人役として共演することになったのが、本作のメインキャラクターである、羽山麻水(はやまあさみ)と白崎由岐(しらさきゆき)だ。

新人俳優の白崎は、役どころを掴むためにとゲイバーを訪れる。そこに現れた人気俳優で共演者の羽山に撮影期間限定のセフレを買って出られたのをきっかけに、プライベートでも交流を深めるようになり、恋に落ちていくというストーリーだ。

この「ドラマで恋人役だったふたりが、現実でも恋人に」という展開は、芸能界を舞台にしたストーリーとしては、割と王道だと思う。王道ストーリーは間違いないという安心感がある反面、既視感を覚えることもある。ところが本作には、後者の感覚がほとんどないのだ。

その理由は、キャラクターに伸びしろがあるからだろう。

白崎は、自分の実体験がそのまま演技に活きる、自分が役に乗り移る、感覚派の役者だ。羽山との期間限定の関係が始まってからは、役が掴めていなかったのが嘘のように、共演者やスタッフ、視聴者を圧倒する芝居を見せるようになる。さらに恋心を自覚してからの演技はますます研ぎ澄まされ、知名度、人気度の上昇にも繋がっていく。

そして1巻のラストで、白崎は羽山と晴れて恋人となる。恋愛経験がそのまま芝居の色香に反映されてきている白崎を見てきた読者からすると、恋を成就させたこれからの彼がどんな演技を見せてくれるのか、その伸びしろに期待を持ったに違いない。

その期待に応えてくれたのが2巻であり3巻だ。

「昼のゆめ」の映画化が決定した2巻では、羽山の愛を日常的に受けた結果の無自覚な自信からだろう。連続ドラマの時とはうって変わって撮影もスムーズに進み、ますます役を自分のものとしていた。

3巻では初めての舞台に挑戦。彼は新たなフィールドで自分の未熟さや、いくらでも代わりがいる芸能界の厳しさを目の当たりにする。また仕事に打ち込む中で、憧れだった羽山と肩を並べる役者、人になりたいという目標が生まれ「選ばれる」ことばかりを強く意識するようになる。だからこれまでは羽山に相談して解決していたところを、ひとりで乗り越えようともがくのだが、上手くいかない。しかし羽山と話をしたことで、自分のためにいい芝居をするという目標を見つけ、役者としてのさらなる成長を予感させてくれた。

キャラクターの伸びしろは、白崎だけに感じられるものではない。人気俳優としての地位を確立している羽山にも、これから先の“期待の余白”が見られるのだ。

羽山の芸能界での仕事ぶりは、事務所の社長が「サイボーグじみている」と表現するほどの隙のないもの。撮影中にヘマをすることはなく、現場で見せるスタッフと対等に渡り合う姿からは、場数を踏んできた余裕を感じる。

そんな羽山の芝居は、白崎と対称的な理論派だ。羽山の芝居の背景には、数多くの先人たちの名演技がある。彼は大学生の頃に演技が早く上手くなりたいと、数々の映像作品に触れていた。そしてそれを徹底して真似して、自分の芝居として昇華して、今に至る。そのため羽山は、自分の性格や体験が演技に活きるという役者の気持ちがいまいち理解できない。

そんな彼の演技に、「昼のゆめ」の映画化で変化が起こる。「役と自分が同化する」という自論を持つ新キャストの山瀬一真(やませかずま)と白崎のキスシーンに嫉妬した羽山は、これまでの自分の芝居を手放し、自分の気持ちを役に投影したのだ。

どこか完璧超人のようにも見えていた羽山が見せた柔らかな演技に、作中のスタッフ同様、新たな彼の可能性を感じた読者も少なくないだろう。

『25時、赤坂で』は、役者・羽山麻水、白崎由岐の成長や変化を丁寧に描き、さらにその先にある期待という名の余白を持たせてくれる。だからこそ、王道ストーリーにもかかわらず常に新鮮な気持ちで、彼らの恋愛と芝居と日常を楽しむことができるのだ。

互いの伸びしろに影響しあう関係性も魅力

ふたりは、互いが互いの伸びしろを伸ばす存在だ。恋に落ちた白崎の芝居が色気を増したり、羽山の芝居が人間味を帯びたりしたことからも確かだろう。

実はこの関係性は、ふたりが俳優を仕事にする前から続いている。

実は羽山の芸能界での最初のキャリアは、モデルだった。どんな仕事も引き受けるものの“こなす”という印象だったと事務所の社長が語っていることからも、あまり意欲的ではなかったことが伺える。

ただ役者の仕事だけは、羽山みずからが望んで決めたという。その理由は、大学時代の白崎の言葉にある。白崎はモデルをすると決めた羽山に、「演技の道へ進まないなんてありえない」と言い放ったのだ。

ふたりの所属していた大学の映研では、あらゆる作品の中でも羽山の出演作品が、圧倒的に客を集めていた。ただそれは彼の演技への評価ではなく、就活先で思いがけずモデル事務所からスカウトされるほどの容姿に対するものだった。もちろん見た目を武器にすることは、なんら悪いことではない。羽山自身もその評価を受け入れていた。

しかし本来の羽山は、たくさんの映画やドラマを見て吸収する、勤勉な努力家タイプの役者だ。にもかかわらず、周囲から評価されるのは容姿ばかり。羽山の映研作品への出演が“きまぐれ”だったのはきっと、「自分の芝居を、そして芝居を愛する自分を見てほしい」というジレンマを抱えていたからではないだろうか。

そんな思いを心の奥底に抱え続けていた羽山に突然かけられたのが、白崎のなんとも生意気な一言である。ただこの言葉は、白崎が「役者・羽山麻水」をリスペクトするからこそ出てきたものであるのは間違いない。この言葉があったからこそ羽山は、周囲の期待に応えるためではなく、芝居が好きな自分の気持ちを大切にしようと一歩を踏み出せたのだろう。

そしてこの言葉は、舞台という新たな挑戦で思い悩む白崎へ、別の言葉、形で返ってきている。

先述にもある通り白崎は、芸能界で必要とされ続ける役者として、また羽山と肩を並べる存在になりたい一心で、成長しなければならないと焦っていた。そのため技術にばかり目が向き、自分が本当にしたい芝居を見失いかけていた。

しかし羽山の「舞台の仕事が1回ダメだったくらいで、白崎の大事なものが損なわれることはない」という言葉で、見てくれている人を信じて自分が本当にしたい芝居をすることの大切さを再認識した。さらに自身の何気ない一言が羽山の心の支えとなっていたことにも芝居を通して気づき、彼への自分なりの寄り添い方を見つけたのだ。

役者・羽山麻水と役者・白崎由岐。もしふたりが大学の映研で出会い、芝居を仕事にし、恋人役として共演していなければ、こんなにも人の心を引きつける力を持った役者が存在していなかったかもしれない。

役者としても、人間としても、恋人としても影響しあい、成長し続けるふたりから、ますます目が離せない。

■『25時、赤坂で』特設サイト
https://www.shodensha.co.jp/25ji/

■『25時、赤坂で』pixivコミック連載
https://comic.pixiv.net/works/7427

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